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わせ

Ms ARCHITECTSエムズ建築設計事務所

エムズ日記BLOG

2024.10.19

三澤康彦さんの師匠、建築家 納賀雄嗣さんを偲んで

この夏、住宅医スクールの特別講義の講師をお願いした松永務さん(アトリエMアーキテクツ)は、三澤康彦さんが東京の一色建築設計事務所(以下一色事務所)に勤務していた時の後輩(同僚)です。二人は同時期に入社したのですが、三澤さんは年上だったことと態度が大きかったことで、松永さんのことを「まつなが」と呼び捨てにし「後輩だ。」と言い切っていました。そんな松永さんの講義がとても好評であったことから御礼の電話をしたのですが、その時に、一色事務所の代表であった建築家の納賀雄嗣さんが、なんと2年前の20221021日にお亡くなりなっていたことを知りました。松永さんに「納賀さんの蓼科の家に行くのだったら今年は私も誘ってほしい。」というお願いをした返事が、このような悲しい事実だったのです。

納賀さんの作品集「無用の美」。最期の作品集は建築作品ではなく木のオブジェ作品でした。木が大好きだったことが解ります。作品は緻密で繊細です。

納賀さんとは、20202月末に予定されていた作品集「無用の美」の出版記念祝賀会に出席しお会いできる予定でしたが、ちょうど新型コロナが蔓延し始めた時期で、惜しくも中止に。お会いするチャンスを逃してしまい今年はお会いしたいと思っていたのです。

納賀さんのことは三澤さんを介して見聞きしたことではありますが鮮明に思い出されます。私たちの東京時代、一色事務所のスタッフみんなは飲み会の雑談の時も、納賀さんの物真似をして大笑いしていました。おそらくスタッフ全員が声色を真似て話しができたはずです、思い出しても笑顔になってしまいます。

10年ほど前に蓼科の納賀邸で。事務所では17時頃からロックのウイスキーグラス片手で歩くスタイルは三澤さんも生涯真似ていました。

私も一色事務所の雰囲気の明るさ、空間の楽しさが大好きでした。仕事のお客様(時には企業やお役所の方も)の時も、納賀さん自身が庭で肉や野菜を焼いてもてなす姿に、すっかり憧れてしまいました。手づくり感ある素敵でフレンドリーなもてなしや暮らしのスタイルを、知らず知らずに憧れて、その憧れがそのまま今のMsのスタイルに流れていると思います。職住近接の暮らしも納賀さんの真似から始まっているのです。

蓼科の納賀邸でのパーティーの様子。ご夫妻中心に準備されたテーブルのお酒やお料理。嬉々として頂いている私です。

何時だったか、納賀さんの師匠である米国の建築家ポール ルドルフが来日し、東京代々木の一色事務所を訪れた際、私もちゃっかりその場にいてお話を聞くことができました。

その時、納賀さんが言われたことが今でも記憶に深く刻まれています。それは「空から下を見渡して都市の計画をするのではなく、私たちは、まずは家族の住む住宅の中から庭に、庭から道へ、そして駅へ向かう道を歩きながら都市や地域を考えていくのです。」という内容の力強いお話でした。このお考えを、ずっと忘れることがありませんでした。

みんなの視線の中心、納賀夫妻を写真に収めようとしている私です。伸びやかな空間の納賀邸の室内。

お亡くなりになり2年になります。そして、もうすぐご命日になります。遅ればせながらご冥福を心からお祈りいたします。

(三澤文子)