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わせ

Ms ARCHITECTSエムズ建築設計事務所

エムズ日記BLOG

2025.09.13

早世した「3つの木の家」を偲んで。

お盆の月、8月のMs日記で、この話題について書けばよかったのですが、お盆月とお彼岸の狭間のまだ暑さが残るこの時期に、少ししんみりしますが、今までを振り返って、私が設計した今は亡き3つの住宅を偲んでみたいと思います。

1989年に竣工した、「黒田コートハウス」。

動物好きな家族のために、タイル敷きの中庭をつくりました。上の写真は中庭を囲む玄関アプローチ。回廊風のポーチから玄関と中庭を見ています。玄関戸はステンドガラスではなく単なるガラス格子戸で、ガラスは型ガラスと透明ガラスを組み合わせています。

夕刻、キッチン側から中庭を見ています。玄関と、居間の内部が見えます。居間は切妻のシンプルな架構。真壁のインテリアが想像できると思います。

この住宅は2016年、火災に遭って焼失してしまいました。家族が不在にしていたときのことです。とても悲しいことですが27年の寿命でした。

「深井モデルハウス」の外観です。2015年に設計を依頼されました。

もともとこの住宅展示場にあった、堺市にあるコアー建築工房のモデルハウスの改修でした。写真外観は、すっかりイメージチェンジした改修後の佇まい。写真左手奥の黒い外観は、ほぼ改修前のままで、1階内部をすっかり改修しました。

道路側に玄関土間と、つづいて作業室土間があります。靴収納や家のメンテナンス道具そして園芸道具なども置ける、この作業室の提案が気に入っていました。リビングは吹き抜けで断熱性能の良さを提案しています。リビングからは中庭越しに離れの和室も見えます。

2階のホールは図書室になっています。家族の本を集約して図書室をつくること。これはいつも提案していることです。

この「深井モデルハウス」では改修工事最中の現場ことが思い出されます。工期は3ヶ月。最後の1ヶ月は週に2回くらい現場にお弁当持ちで通いましたが、10時頃現場に到着し、担当大工の西川さんの質問攻めで12時を過ぎてもお昼ご飯を食べることができずにお腹をすかせていた思い出があります。そんな突貫工事でしたが予定通りにきれいにしつらえがされてオープンした時は、本当に晴れやかな気持ちでした。

ところが、この住宅展示場が2020年に閉じることになり、この「深井モデルハウス」は解体されることになったのです。

悲しいことに、たった5年の寿命でした。

そして「深井モデルハウス」の生まれ変わりとして、同じく堺市の美原展示場に建てられたのがコアー建築工房の「美原モデルハウス」でした。このモデルハウスでは、造園設計と工事がコアーでおなじみの谷口萌さん。谷口さんと一緒に山に行って植樹の植木も選んできました。

そして玄関ポーチには必ずスロープで上げることも、この頃から始まりました。

この「美原モデルハウス」はコロナ禍の始まり2020年の7月頃にご依頼をうけて、2021年の5月には完成オープンという、やはり設計期間も工期も短い仕事でしたが、のびのびとした良い住宅ができました。大きめのキッチンで、キッチンを囲むダイニングテーブル。コロナ禍でもあり、みんなで集まっておいしい食事を。という気持ちが込められていました。

そしてここも、ダイニングキッチンに続いて土間のサブリビングがあります。庭につながるサブリビングの提案は、コロナ禍に「庭のある住まいを。」という希望の依頼が多かったこともあって、「庭が身近なすまい」について、よく考えていたからでした。

そんな「美原モデルハウス」も、展示場を閉めることになった。というショッキングな知らせを聞いたのが昨年2024年。そして2025年に、またしても解体されることになったのです。

「美原モデルハウス」も、さらに悲しいことに寿命4年でお別れとなったのです。

さてこれが、人間だったらどうでしょう。

この2つのモデルハウスのことを思うと、悲しく切なくて仕方がないのですが、「深井モデルハウス」は、今は亡き三澤康彦さんが写真を撮ってくれ、「美原モデルハウス」は写真家の畑拓さんが写真を撮ってくれたので、今も写真を見ながらその空間を思い出すことができるのは、唯一の救いです。

1棟は火災で、2棟はモデルハウスという事情があってのことですが、極めて短命に終わった3つの家。

きれいな写真をみながら生前を偲び、ほかの家は「どうか長生きしてほしい。」と願う気持ちでいっぱいです。

(三澤文子)