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わせ

Ms ARCHITECTSエムズ建築設計事務所

エムズ日記BLOG

2025.01.25

阪神・淡路大震災30年を学び、伝えていくこと

1995117日午前546分に発生した阪神・淡路大震災(以下、震災)から30年の節目を迎えました。特に今月は新聞やテレビで多くの特集が組まれており、当時を振り返る機会も多くなっているのではないでしょうか。一方で、震災後に生まれた若い世代や、他の地域から移り住んだ方も多くなっており、「世代や地域を超えて」震災を学び、伝えていく時代に入ったといわれています。

かくいう私(上野)も、1995年当時は中学2年生。名古屋で生活していたため、そもそも震災を経験しておりません。それでも、大学~大学院~会社員1年目までの7年間を神戸市灘区・東灘区で過ごしたこと、また現在Msで木造建築の設計をしていることから、震災についてどこか他人事ではなく思うことがあります。震災を経験していないからこそ、自ら学びにいくこと。学んだことを言葉にしていくことも大切ではないかと考えるようになりました。

 今回、Ms日記で震災をテーマとさせて頂くことで、小さなことでも皆さまの体験や記憶・思いとシンクロし、これからの防災について考える機会となればと思います。

上写真は、神戸市兵庫区にある「兵庫津(ひょうごのつ)ミュージアム」です。3年ほど前にオープンした施設ですが、ちょうどニュースで「阪神・淡路大震災30年」の特別展示が開催されていることを知り、その最終日である119日に行ってきました。左手が兵庫県最初の県庁舎を復元した「初代県庁館」で、右手が博物館施設である「ひょうごはじまり館」です。

特別展示のポスターには、「震源地の位置・震度」がビジュアルに表現されていました。赤色が国内はじめて観測された「震度7」のエリアです。淡路島から神戸市中心街を東西に横切るように、死者6,434名(建築物被害:全壊104,906棟・半壊144,274棟)という甚大な被害をもたらしました。

展示より、死因の7割以上が「窒息・圧死」であったことは、設計を仕事としている身にとって胸が締め付けられるような思いです。特に、木造住宅の被害が多かったことは忘れてはいけない事実です。わたしは震災後6年の2001年に神戸大学に入学しましたが、建築防災の授業で教鞭をとられていた室崎益輝先生から、『“建築が人の命を奪うことがある”ことを忘れないで欲しい』といわれたことを今、思い出しています。一方で、倒壊した家屋の下から助け出された人々は、7割以上(約27,000人)がプロではない近隣住民の方々が救出したというのは特筆すべきことです。

個人的なことなりますが、震災から11年後の2006年には、震災からの復興まちづくりをテーマとした『デザイン・シャレット・ワークショップ(ワシントン大学と神戸大学による1週間の集中ワークショップ)』に参加させていただきました。当時、区画整理などによりハード面の復興は進んでいましたが、住民のコミュニティや、地域の特性に根差したまちづくりのあり方など多くの課題があり、建築を学び始めた時期に、これらの課題と向き合うことができたことは自分にとって大きな出来事だったかと思います。

さて、上写真は神戸市「御影公会堂」の現在の様子ですが、中央の川(石屋川)の左が灘区、右が東灘区です。1995年震災直後、Ms三澤文子さんを中心とした「木造構法研究会」の多くの有志メンバーが、東灘区の魚崎南町から岡本までのエリア(南北1.7㎞、東西0.48㎞)において、「全数調査」(約2000軒)・「被災木造住宅の詳細調査」(約200軒)に参加したことを教えていただきました。

というのも、ちょうどこのお正月に三澤文子さんが震災調査で出会った近畿大学の村上雅英先生の退官記念のための原稿を執筆したところで、タイミングよくその取り組みを学ぶことができました。実際に被災地を歩き、『なぜ、木造住宅が多く倒壊したのか?』という切実な思いを抱えながらの調査は、いかほどのものであったか。自分には想像することしかできませんが、目頭が熱くなる思いで原稿を読みました。

この調査結果の速報は、19956月に自費出版された左のチェックブックにまとめられ、翌199610月には日本住宅・木材技術センターから右のチェックブックとして出版され、木造住宅の耐震化の研究が進んでいく礎になりました。 

耐力壁のバランスに関すること、床面や屋根面(水平構面)を固めることの重要性など、現在の木造設計でスタンダードになっている基準の多くが、震災の経験によって生み出されてきたということを学び直しました。

昨年1月1日には能登半島地震がおこり、今年115日には、南海トラフ大地震が今後30年に発生する確率が「80%程度」に引き上げられたというニュースがありました。

阪神・淡路大震災からの学びを、これからどう生かしていくか。日々の仕事やプライベートのなかで、小さな取り組みを積み重ねていきたいと考えています。

 上野耕市