「阪神淡路大震災を決して忘れない。」これは、2000年11月に発行された「近くの山の木で家をつくる運動宣言」に掲載されている私の文章のタイトルです。このタイトルの通り、兵庫県南部地震(阪神大震災)があった1995年1月17日は建築設計者である私の大きなターニングポイントとなった日です。この年を境に設計についての考え方・姿勢は180度変化して今に至ります。地震国日本で家を造るのですから、耐震性の確かな木の家を。そして古い既存木造住宅は、耐震性能を必ず向上させて大地震がきても命を守るために治していくことを。
29年前の兵庫県南部地震で木造住宅が倒壊したことによりお亡くなりなった多くの方々の命を無駄にしないためにと、固い思いで設計活動をしていましたが、1月1日の能登半島地震の被害状況を、映像を通してみるにつけ苦しく辛い気持ちになってきます。おそらく石川県や富山県、新潟県など被害にあった地域の建築設計者は、仲間と共に今、出来ること、すべきことを一生懸命考えて行動していることと思います。もう少したったら私も何かお手伝いに行きたいと思っているところです。
能登半島地震があったことで、29年前の阪神淡路大震災の後の出来事を思い出していました。今につながる出来事として「Dボルト」との出会いがあります。そもそものきっかけは、地震から半年くらい経ち神戸新聞の特集記事で、近畿大学の村上雅英先生(構造専門)と三澤康彦さんとの対談が誌面に大きく掲載されました。その新聞を見た兵庫県三木市の大工さんである米澤修二さん(後のディープランヨネザワの社長)が、「私が考案した接合金物を使って建てた家は激震地でも壊れなかった。」とその接合金物―Dボルトを持って訪ねてきたのです。直後、村上先生から「三澤さんたちの造りたい真壁の家づくりにぴったりの金物があるよ!」と電話があったのでした。私たちがすぐに兵庫県三木市に向かったのは言うまでもありません。それから共同開発ということで実践を重ね今に至ります。
性能の確かさは名だたる構造設計者から信頼を得ていることからも間違いないので、今回は意匠面からみた良さを説明したいと思います。ただし、意匠面の良さが発揮できるのは真壁構造の場合に限ります。ボードなので構造材が隠れてしまう場合はどんな金物であっても見えないので構わないということになります。それならばあえて値段が高くプロ好みのこだわりの強い金物は使う必要ないですよね。
Msの木の家で接合部の周りを観察してもらうとDボルトを発見することができます。節?とおもいきや、Dボルトのシリンダーナットだったりしますから。スッキリ美しい。そして頼もしい。
もはや、この黒い金物が見えるだけでゾクゾクっと快感さえ覚えるのですが、これって玄人気質なのかオタク気質なのか?
(三澤文子)