みなさんこんにちは。今回は非常勤&リモートワークの村上が担当いたします。
先週の鈴木さんの日記「丸亀の家・改修から学んだこと」で予告があった通り、今回は丸福町家お披露目会についてお伝えします。
3月29日は10時から見学会、15時から鈴木さんによる報告会というスケジュールでした。四国だけでなく、九州や関西圏からも足を運んでいただき、感激ひとしおの鈴木さん。報告会ではキッチンに鈴木さん、文子さん、そして2024年度Ms最優秀監督賞を受賞した関元工務店の能見さん。大きなクスノキでできた事務所テーブルの中央に、大工の水田さんと川西さんが着席し、なごみながらも少し引き締まった空気の中で鈴木さんの発表が始まりました。
まずは鈴木さんの職歴と丸亀の家の改修に至った経緯の説明がありました。エムズ日記ではこちらの記事に詳しく書かれています。鈴木さんの穏やかな見た目や、とつとつとした話し方からは想像しにくい、内に秘めた情熱を実現するストーリー。何度も読んだり聴いたりしていますが、完成した丸福町家での発表に、あらためて感動してしまいました。
報告会は、設計や施工の技術面で学ぶことが多くありました。今年の住宅医検定会に、この改修事例をもって挑戦する鈴木さん。これからも技術面について公開するはずですので、今回のエムズ日記は別の角度から、心に残ったことを記したいと思います。
・大工の川西さん(左)と水田さん(右)
能見さんから改修の話を聞いたとき、水田さんは「難しいことに挑戦するのが好きで、ワクワクした。」反対に川西さんは「聞いた時は不安しかなかったが、挑戦することにした。」とお二人の心持ちが真逆だったことを知りました。そして文子さんが絶賛した、作業場でつくった屋根パネルを現場で取り付ける施工方法は「施工の効率化のため、能見さんと3人で議論して決めた」そうです。大変な工事でしたが「設計者が現場で熱心に考えてくれたため、作業がしやすかった。」との感想に、設計者としては「設計段階で、施工者に施工方法の提案や問題が発生しそうな箇所がないか確認し、フィードバックをどのように設計に取り入れるか検討する必要がある」と、今後の課題ができました。
・徳島の杉
杉材は、Msと縁の深い徳島の和田善行さんから提供されたもの。1階の床は30mmの徳島材で、足場板を床板にするという以前Msがよく使っていた手法を採用しました。 当初は1階は土足での使用を考えていましたが、もったいなくて、くつを脱いで上がる形になりました。
・ご近所さんのお話
報告会の前に、鈴木さんのおすすめで近くのお好み焼き屋さんで昼食をとりました。焼けるのを待っている間、地域をよく知るお店の方と「元の自転車屋さんを、お孫さん(鈴木さん)が一念発起してきれいにしたんですよ!」とおしゃべりしていると、なんと、「おばあさんは手を怪我して入院したけど、足は悪くなかったので入院しない方がよかった。結局歩けなくなり、家に帰って来れなくなった。」と話してくれました。鈴木さんに聞くとその話は事実で、まだおばあさんのことを知っている方がいらしたことを嬉しく感じました。
・鈴木さんの報告と、参加者の意見や感想を聞いた、高知の住宅医・萩野さんの言葉
「最近、住宅の仕事が減少していますが、鈴木さんの話を聞き、建築業界が変わる予感を感じました。 設計者は、木材供給者や、まちの人々など、社会のつなぎ役としての役割があるのではないでしょうか。古いものと新しいものを組み合わせる空間の価値をつくり出す。 これをどのようにアピールし、伝えるかを今後の課題としたいです。」
丸福町家のすぐ近くには「こんぴら街道」があり、かつては人通りが多く、お魚屋さんやお花屋さん、鈴木さんのおじいさんの自転車屋さんなどがあったそうです。鈴木さんが「人が集う場所にしたい」と考えて再建された丸福町家。萩野さんの言うように、古いものと新しいものを組み合わせた空間の価値を、どのようにアピールし伝えるかを、これから私もしっかり考えていこうと思います。
文子さんはよく、京都工芸繊維大学特任教授 花田佳明氏の「『形あるものはいつか消える、残るのは記憶だけだ』という言い方があるが、わたしたちが暮らす町においては、『形あるものが消えると、記憶も消える』」という言葉を口にします。よみがえった丸福町家は、消えかけた記憶もよみがえらせてくれました。
大叔父さんの彫刻についてはインスタグラムに投稿しました。
これから新しく誰かの記憶に残されていく、築97年の丸福町家。お好み焼き屋さんの言葉を紹介して、今回の日記を終わりにします。
「いいおばあさんやったよ。おうちがなおって、おばあさん喜んどるわ。」
村上洋子