薪ストーブで温かいMsで、Jパネルハウスの原点を思い出す。
MsのOB大橋朋晃くんの家具工場OGUMAに行って、薪を頂いてきたMsスタッフ中尾君。
朝いちばんに薪ストーブに火を入れるのが、彼のルーティンです。
着火剤など使わずに火をつけるのは、ソロキャンプが趣味という彼のプライドでしょうか。なかなか良いですね。
OGUMA工場からの頂き物は、全て広葉樹で、いつもと違う香りが漂うようです。
火が小さくなるころには、スタッフルームから中尾君がやってきて、ストーブの世話をしてくれています。
おかげさまで、私の席から、いつも炎が見えて、気分的に暖かくなります。
薪ストーブのおかげで2台あるエアコンも1台だけが稼働。いずれ、断熱改修をして、薪ストーブだけで、みんなが温かく仕事が出来るようにしたいものです。
さて、先日この本が届きました。
これはなんだ?と、しばらく考えていて、「そうだ、去年の秋ごろ、エクスナレッジの編集の方から連絡があり、校正作業など少し、したんだった。」と思い出しました。
以前、雑誌・建築知識の特集号に掲載されたものを本にするとのこと。
MsのJパネルハウスを掲載して頂いていたのでした。
今回の書籍では、イラストのお顔入りです。
当時、特集での掲載には、三澤康彦さんがたいそう喜んでいたのを思い出します。
「今まで、こんなに嬉しかったことは無い。今回の掲載が一番嬉しい。」などと、しみじみ言っていたのでした。
1990年代と見出しにある116ページには阪神淡路大震災の記述があります。このページは<雑誌・建築知識のバックナンバーの復刻「木造建築は地震に弱いか?」1995年3月号> と目次に記されていました。
見れば、見覚えのある写真が数枚。これはまさしく私が撮った写真です。
あの頃、まだ面識のなかった稲山正弘さんから、木造住宅の被害写真を頂けないか。といったご依頼があったことを思い出しました。当時、建築知識に連載されていた、解りやすい木構造のページを稲山さんが書かれていたのですが、その連載の単なるファンだった私にお声がけがあり、喜んでお送りした覚えがあります。
そして、その後1995年9月1日防災の日に企画されたシンポジウムで、初めて稲山さんにお会いしたのでした。
今回、再掲載のJパネルハウスも、この本の118p「2000年以降 住宅の進むべき道とは」において、「・・・・耐震的配慮を含めた木造の新しい工法やシステムの提案など、材料や技術への取り組みを通じて新しい建築空間を創出させようとする試みなども注目される。」と書いてくださっています。(涙)
今月の17日、あの大地震から26年がたちました。
26年前の今頃、今日と同じように寒い日々、家が壊れて悲しく大変な日々を送っていた人たちが、ものすごく沢山いました。
これら写真の日付は 1995年2月4日、被災地を歩きまわって撮った写真です。
Jパネルハウスの原点はここにあることを、毎年1月には思い出さなければなりません。
(三澤文子)